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日本経済新聞 〜中国版〜
2003年1月9日
理想の住宅、元請け不要
施主が業者に分離発注
〜 変えるのは誰か 〜
異端のススメ
「家づくりは業者のためにあるのか」。始まりは怒りだった。
山中省吾は公共工事中心の設計事務所に就職し、技術や設計能力で受注が決まらない業界の裏に暗然とした。山中設計(鳥取県米子市)を興してからも「技術力や創造性が生かせない」 「建築主の思いが実現していない」との思いが募った。
というのは、家づくりは住宅メーカーや工務店が一括受注し、基礎、電気、内装など専門工事業者に仕事を任せるピラミッド型構造。頂点に立つ工務店や住宅メーカーが様々な手数料を上乗せし、自由な設計といっても、自社企画の住宅商品の微調整で済ませがちだ。
1ー2割安く
山中は1992年、分離発注という仕組み(オープンシステム)を考えた。建築主がまず山中設計と共同で住みたい家のコンセプト作りをする。それをもとに基本設計し、複数の工事業者に見積もりを出してもらう。一般的な戸建てなら、約20の専門業者とそれぞれ契約する。
山中設計の場合、顧客のきめ細かな注文を反映するため、設計は半年がかり。設計事務所が仲介・管理はするが、建築主は工事業者と個別に契約や代金支払いをしなければならない。こうした手間をいとわなければ、競争原理の導入と工務店の中抜きで従来より1−2割安くできるという。
山中は始める時、設計を受注していたゼネコン(総合建設会社)や工務店からの仕事を断った。しかし、設計士四人だけで営業担当者はいない。「建築革命宣言」と気負って有料セミナーを開いたが、来たのは多くて10人という日々が続いた。「銀行からお金を借りられるだけ借りた」と振り返る。
業界では「設計事務所に部材の価格は分からない」 「現場管理できるのか」との冷ややかな見方が強かったという。5年ほど地道に続け、ようやく趣旨を理解する顧客が出てきた。そこで同志の設計事務所と98年末、オープンネット(鳥取県米子市)を設立した。分離発注に取り組む設計事務所が、年会費12万円で会員になれるネット会社だ。
山中は新会社を「分離発注を始めた時からの必然」と言う。個々の設計事務所は得意分野が限られ、ノウハウの補完が不可欠だ。グループの着工数が増えることで、代理店を通さない、住宅資材メーカーと有利な条件でのネット取引が増えてきた。分離発注では欠陥工事の責任の所在が不明確になりがちで不安だが、グループ化によって東京海上火災保険と補償共済の仕組みができた。
本で知名度上昇
オープンネットば当初は受注が少なかったが、山中が2000年初め、仕組みを解説した本「価格の見える家づくり」を出し、3万部を売って知名度がぐっと上がった。
昨年12月に「パート2」を出版し、今年前半は50ヵ所でセミナーを開く。平日は米子市で働き、週末はセミナーで全国行脚の伝道師″と、当面は無休だ。
それでも「2000の設計事務所、年間1万棟のネットワークにしたい」と夢は広がる。「資金力をつければ、住民と一緒に企画するコーポラティブハウスなど事業の幅が広がる」からだ。
系列取引など古い慣習を変える動きはいろいろな分野で起きている。オープンネットは「丸投げ」など独特な慣行を引きずる住宅・建設業界にも、「常識破壊」の波が及んだことを示す。=敬称略(鳥取支局長 内田光男)
<メモ>(やまなか・しょうご)1974年、米子工業高等専門学校建築卒。鳥取県内の建築会社に勤務後、88年山中設計(米子市)設立。92年、分離発注方式のオープンシステムを始め、98年末に同方式に関心のある建築設計事務所とオープンネット(同)を設立。会員はスタート時の16社から2002年末には全国249社に膨らみ、着工数は99年の18棟から2002年は350棟に急増。北海道出身、49歳。
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