第3章
  建築革命を宣言 これまでの経過

   
@建築革命セミナーを開始

 ゼネコンや工務店のひも付きの仕事はしない、とは言ったものの、新しい考え方の新しい手法による仕事を確保しなければならない。土俵が無ければ相撲もとれない。私の事務所は設計者の集まりである。営業のセンスを持っている者が居ない。そこで自分達の個性を生かした方法でと考えたのが、市民講座のような建築セミナー、題して建築革命宣言。会費2千円の有料のセミナー。

 まずは参加者一人一人に自分達の考え方や思いをぶつけていこう、ということで始めた。2時間くらい話しをした。自分自身本当に勉強になった。誰しも楽な方へ楽な方へと行きたがる。自分を今よりもっと厳しい状況へ追いつめるほうが、人間は力を付けるようだ。昨日よりは今日、今日よりは明日と毎日挑戦を繰り返す、これが全ての生活の原点だと思う。

 セミナーはボデーブローを打つように、じわじわときいてきた。仕事も少しづづ増えてきた。しかし、日本の片隅の単なる変わったやり方、建築革命はいつの日か。金は無い。有るのは、夢と希望という無形の財産のみ。せめて思いは自由に世界を駆けめぐりたい。そんな思いで事務所のスタッフとヨーロッパを旅して廻った。楽しい珍道中。銀行からはしかられたが・・
住宅ジャーナル1995年 3月号

A住宅ジャーナル 「建築革命を宣言するオープンシステム」

 1995年正月明け、東京の住宅専門誌、住宅ジャーナルの記者から電話で取材の申し込みがあった。取材をかねて、私の建築革命セミナーに参加していただくことになった。 セミナー終了後、東京から来られた記者と意気投合し夜遅くまで語り合い、今だに友人付き合いが続いている。

 住宅ジャーナル3月号に「建築革命を宣言するオープンシステム」として、7ページにわたる特集記事。 その中で「ここにまた新たな方向からコストダウンにアプローチする起革家が現れた。鳥取県米子市の建築家、山中省吾である。氏の提唱するオープンシステムは、下請工事を分配するだけのブローカーに成り下がっている工務店を排除し、設計事務所が設計、施工管理を行うことで、コストダウン効果を直接施主にもらそうとするものである。存在理由なきものは淘汰される。商社、問屋の次に振るい落とされるのは技術力なき工務店である。」とかなり過激に紹介。

 事務所のスッタフと、革命に向けてやっと一歩前進したことを確認し、決意を新らたにした。その後、住宅ジャーナル社の記者から講演依頼があった。96’グッドリビングショー。場所は新しく完成したばかりの東京国際展示場、通称ビッグサイト。生まれて始めて話しをしてギャラをもらった。芸能人の気分とはこんなもんなんだろうかと思った。

 それにしても米子で開いている建築革命セミナーは、参加者が10人前後しか集まらない。会費もたった2千円で済む。それに比べて会費2万円ちかく払って、全国から泊まり掛けで、150人も話しを聞きにくるなんて、米子でも東京でも話す内容は同じなのに。東京ならすごい、良い話しが聞けると思い違いをしている人が何と多い事か。自分の足元にいくらでも、材料がころがっているのに。知識や知恵とは人から与えられるものではなく、自分で探し出し身に付けていくものだと思う。
山陰中央新報 1997年6月26日

B山陰中央新報 「建築コスト下げる革命」

 その年の夏、山陰中央新報社から電話、「お時間取れますか」。その頃私はお時間などは売る程有った。「ちょっと、お待ち下さい。予定を確認します。その日でしたら午後の1時半から2時間程時間が取れますが」と格好付けた。
 「それでは、私共の新聞社の専務が取材に参ります。よろしくお願いします」と。

 電話を切って冷静に状況を再確認。事務所のスタッフに「中央新報の専務さんが、取材に来られると言ってたけど・・」「そりゃ社長、取材専門の下請会社の専務じゃないの」。取材当日、時間を持て余して、わくわくしながら2階の窓から、駐車場を度々チェック。


来た。黒塗りの車に社旗をなびかせて。山陰中央新報社専務、川部省吾氏、米子総局長それに新聞記者の方。2時間みっちり取材と質問責めに合った。

 中央新報の方々は大変興味を示し、私達の考え方を理解し賛同してくれた。ローカルワイド経済人いんたびゆう、というコラムで取り上げてられた。その後も山中設計を何度か取材、関連の山陰経済ウィークリーで表紙の顔として取り上げられる等、合計10数回の記事になった。本当にありがたいと感謝している。
日経アーキテクチュア 1996年4月8日

C山陰中央新報 1997年6月26日

 アーキテクチュアから取材の申し込み。正直言って、マジかよと思った。日経アーキといえば数ある専門誌の中でも、設計者の間で最も評価の高い専門誌のひとつである。新しい建築のトレンドを築き上げ、デザイン面、言論面で業界のリード役を担ってきた。だから、何で自分が、と思った。

 創刊20周年特集号で、現代のすご腕、というタイトルにふさわしい建築家を全国から探しているところだという。「すご腕なら私なんかより、宇宙で家を建てるとか、色々すごい人がいらっしゃるでしょう」というと、「そういう意味のすご腕ではなく、現実社会に根を張って、プロとしての存在感のあるすご腕のことで、ともかくお時間を取って下さい」ということで、記者が米子まで来られた。

 「私は建築の設計者として、ごく当たり前のことを一生懸命に頑張っているだけ」と言って始まった取材、2日がかり。全国から9人の建築家が特集され、幸いにもその中の一人に加えて頂いた。「9人は専門家の論理、言い分を墨守しようとはしなかった。こうであればいいのにという、発注者や利用者の素朴な希望や要求を、事情の知らない素人の言うことだからと切り捨てなかった。むしろ一般の人々を、さすがプロとうならせる事に自分の存在価値を見つけた」と過分な評価。

 本来なら私のような者が、日経アーキに取り上げられ、特集記事が組まれるなんて、あり得ない事である。謙遜ではなく冷静な判断として。時代は少しづづ変わろうとしている。近代建築とは一体何だったのかという反省が、建築ジャーナリズムの中に生じてきたようだ。あまりにもタイムリーに私達の試みが目に止まった。
山陰経済ウイークリー 1996年12月3日

D日本建築学会 「PM/CMの事例報告」

 1996年夏、日本建築学会から書面が送ってきた。日本建築学会といえば権威のかたまりだ。自分なんか会員になろうなんて考えたこともなかった。

 その建築学会から書面が届いた。最近少し専門誌で取り上げられたので、入会の案内でもきたのかなと思って封を開けた。そこには「我が国の建築プロジェクトに於けるPM/CMの現状と課題に関するシンポジュウムの講演と論文執筆の依頼」とあった。ハッ?何のこっちゃ?しばらく意味が飲み込めなかったが、これは大事件だ。さすがに驚きを通り越した。建築学会の担当者に問い合わせ、意味が次第に分かってきた。

 2年前に日本建築学会が、PM/CM特別研究委員会というのを発足させ、研究に入った。委員の中には、大学の先生、建設省、郵政省等の官僚、スーパーゼネコンや日建設計の人達が加わっている。ジョンバチェラー、久富洋、原田誠等建築専門誌を読んで知っている人もいる。海外では比較的に定着しているPM/CMは、行きづまりが予想される日本の建築に、新しい道を切り開く為の有力な手法として、研究を始めたらしい。

 私達の建築革命宣言〜オープンシステムが、PM/CMと本質的に同じであるので、我が国の先進的事例として、セミナーで講演してほしいというのである。恥ずかしいことにそのときまでPM/CMということを私は知らなかった。こんなやり方が発注者にとってより良いのではないか、またこんなやり方が設計者が本来あるべき姿ではないかと、試行錯誤を繰り返しながら手探りの中で実践的に築き上げてきた。それが私達が実践してきたオープンシステムである。時代の先を読んだ、などという大それた気持ちは勿論ない。しかし、時代は確実にオープンシステムを求め始めたことを感じた。

 講演内容を打ち合わせるために上京した。委員の人達の中に自分が居る。少し場違いな感じがした。「私はどんな事を話せば良いのでしょうか。何を話しても良いのでしょうか。建築には裏と表があって、裏の部分にこそ真実がいっぱい隠されています。例えば公共工事をする際に、私達設計事務所は建築士事務所協会からまわってくマル秘の単価表で、工事費を見積ります。その金額が基準となって工事が落札します。マル秘の単価で見積もった金額と、市場で実際に取り引きされている金額の比較を、シンポジュウムで公表しても良いのでしょうか。」と質問した。少しの間沈黙があった。

 「かまわないと思います。何でも自由に話して下さい。特に何故このようなことに取り組み始めたのか、動機などをお話されたらよろしいのではないでしょうか」。この委員の方々も、かわらなければならないと思っている。変化を望んでいるのだなと感じた。

 「私は学者ではありません。研究者でもありません。実践者です。したっがて、シンポジュムでは、研究論文の発表というより、実践報告、あるいは体験レポートという形を取らせていただきます。」ということで、約1万字の論文形式にまとめ、講演させていただいた。

 建築の学術的な中心部分で、建築革命が少し進展した。革命は忍耐力、少しづづ、着実に前へ進もうという情熱が、5年、10年、20年で大きく前進する。
 あきらめないこと。あきらめない人が最後は勝つ。努力の人が最後は勝つ。私自身がそういう人間だといっているのではない。私はそれを信じてそういう人間に成ることを目指している。

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